東京都では、東京と他の地域が、それぞれの持つ力を合わせて、共に栄え、成長し、日本全体の持続的発展へとつなげていく「共存共栄」を目指しています。
そのために、東京都では、東京だけでなく他の地域の発展にも結びつく様々な施策に、各自治体と協力して取り組んでいます。その取組の一環として、全国の自治体へ直接訪問し、東京都との連携や政策全般にわたる意見交換を積極的に行っています。
1月19日(月)と20日(火)に沖縄県庁をはじめとする各所を訪問したので、その様子をお届けします。
羽田空港から那覇空港まではおよそ3時間。充実した2日間となるよう、機内で気持ちを整えます。
那覇空港に到着すると、ターミナル内には首里城復興の横断幕が架かっていました。
今回の行程に首里城の視察も入っていて、復興の様子も直接見ることができました!
最初の目的地は、恩納村にある沖縄科学技術大学院大学、通称OIST(オイスト)です。
OISTは沖縄において世界最高水準の教育研究を行うことにより、①沖縄の振興と自立的発展、②世界の科学技術の発展に寄与することを目的に平成23年に設立されました。内閣府管轄の私立大学で、日本政府から多くの資金提供を受け日々研究が行われています。
OISTには国内の大学院ではあまり見ない特徴がいくつかあります。
まず、ハイトラストファンディングです。政府からの資金がしっかりと用意されているため、研究環境は非常に恵まれています。ですが、だからこそ成果を出すことが強く求められます。世界的に見ても優秀な学生が集まっていますが、そんな彼らでも5年の在学期間における研究というものは極めてハードという声が多いようで、そのレベルの高さがうかがえます。
次に、学際的研究ができることです。通常、大学院における研究は分野ごとの区分けの中で行うことが想定されますが、OISTの場合は工学・応用科学、物理学、化学、環境・生態学、海洋科学、神経科学、数学・計算科学、分子・細胞発生生物学の9分野の境界線がなく、複数の分野にまたがる研究を行うことができるのです。
最後に、多様性です。OISTは国際色が豊かで、学生は78%、教員は63%が外国人、学生は54の国・地域から来ています。ですから、キャンパス内の公用語も英語で、入学・採用の要件の一つとして英語が使用できることが求められています。また、学生の41%は女性であり、性別の偏りがあまりないことも特徴です。
非常にハイレベルな研究・教育は、世界でも高く評価されています。例えば、自然科学分野の論文数に占める質の高い論文の割合は世界9位!(国内はトップ)
また、令和4年には、所属するスバンテ・ペーボ教授がノーベル生理学・医学賞を受賞しています。ペーボ教授は人類の進化とゲノムに関する複数の画期的な研究で高い成果を上げています。
冒頭に紹介したOISTの目的に「沖縄の振興と自立的発展」とありますが、これに貢献する研究や産学官連携も多くあります。その中から2つの事例をご紹介します。
一つ目は、OISTサンゴプロジェクトです。これは、OISTの遺伝子研究の知見を活かし、ゲノム解読を通してサンゴの植付と育成を行うものです。これは世界初の試みであり、持続可能な海の保全につながることが期待されます。
二つ目は難消化米の開発と商品化です。地元の恩納村と連携して開発した新種の高機能米「ちゅらおとめ」は、血糖値の上昇を抑える働きがあり、肥満や糖尿病の予防が期待されています。そして、このちゅらおとめを使い、オリジナルクラフトビール「異端児エール~伊江島の黒糖とOIST米のBlack Belgian Porter~」が開発されました。
このようにOISTでの研究成果は課題解決やビジネスチャンスに応用されています。近年、持続的な社会の実現にスタートアップが熱い視線を浴びていますが、OISTは世界から有望な起業家を呼込み、沖縄で起業する土壌も作っています。
さらには、次世代の育成を目標に、地元の子供たちが科学に触れる機会も提供しています。
離島を含めた沖縄の各地に出向いて開催する科学教室や、キャンパスで開かれる年に一度の科学の祭典「OISTサイエンスフェスタ」、高校生向けの課題解決型プログラムやインターンシップなど、数えきれないほどたくさんのイベントが用意されています。これらは子供たちに非常に人気があり、抽選に当たらないと参加できないものもあるという盛況ぶりです。実際に、イベントへの参加をきっかけに科学者を夢見た子供が、大人になってからOISTに入学したというケースも出ていて、種まきの成果が出始めています。
こんな世界があったのか...と衝撃の連続だったOISTの紹介を経て、キャンパスツアーのお時間もいただきました。その一部をご紹介します。
限られた時間の中ではありましたが、非常に刺激の多い訪問でした。
OISTの皆様、お忙しい中ご対応いただきましてありがとうございました!
OISTの視察を終えた私たち。次は首里城に向かいます。
首里城は言わずと知れた沖縄のシンボル。琉球王国時代には、国王とその家族の住居としてはもちろん、政治・文化の中心的な役割も果たしていました。
これまでに火災や戦災により焼失を繰り返してきた首里城。戦後は平成4年に正殿などの主要建物の復元が完了し、平成12年には世界遺産にも登録されました。
しかし、令和元年10月31日、火災が発生。真っ赤に燃える様子や鎮火された後の光景はショッキングなものでした。沖縄県民の方々の悲しみは計り知れません。
それでも、首里城復興に向けた一歩はすぐに踏み出されました。令和3年3月に「首里城復興基本計画」を策定し、翌年には復元工事が始まりました。基本計画では、それまでの姿を取り戻すだけではなく、もっと安全で、もっと魅力的な首里城となるよう、あらゆる施策がとられました。
私たちが訪問した時は正殿の外観が完成し、内装の工事が進んでいる最中でした。
正殿は衝立で囲まれてこそいるものの、透明なものが使われている箇所が多く、来場者も工事の様子を見られるようになっています。それだけではなく、これまでの工事を振り返る展示も多く、まさに「見せる復興」といえるようでした。
さらに、正殿の屋根に取付けられる鬼瓦が目の前で展示されているところも、復元中の今しか見られない貴重な光景です。
正殿は今年の秋に復元される予定です。首里城が壮厳な姿を取り戻す日を楽しみにしています!
今まで知りえなかった沖縄の新鮮な姿に魅せられながら、2日目を迎えます。
沖縄の朝晩は少しひんやりとしていました。日中との気温が大きく、春はもう少し先なのだろうと感じました。
さて、沖縄県庁に到着しました。
庁舎は、建築家の黒川紀章さんによる伝統と革新を融合させた設計です。平成3年にはBCS賞【注】を受賞しました。
【注】BCS賞:「優秀な建築物を作り出すためには、デザインだけでなく施工技術も重要であり、建築主、設計者、施工者の三者による理解と協力が必要である」という建築業協会初代理事長竹中藤右衛門の発意により昭和35年(1960年)に創設され、以後、わが国の良好な建築資産の創出を図り、文化の進展と地球環境保全を寄与することを目的に毎年、国内の優秀な建築作品に贈る賞
近づいてみると、シーサーがいることが分かります。
庁舎14階にある展望室では、手前に周辺の市街地と、遠くに那覇新都心を見ることができます。
また、庁舎の歴史を伝える写真の展示もあり、時が流れるにつれ変わりゆく街の姿も知ることができて興味深かったです。
沖縄県との意見交換の時間がやってきました。
今回は、企画部の皆様にご対応いただきました。
お忙しい中、お時間をいただき誠にありがとうございました。
意見交換では、東京都が実施する連携事業をご紹介するとともに、沖縄県の政策について幅広くお話を伺いました。ここではご紹介いただいた県の政策のうち3つをピックアップ、深掘りします!
【離島振興課題への対応】
沖縄県は多数の島しょを有する県であり、離島における生活、教育、医療・福祉の維持、地域経済の活性化が非常に重視されています。沖縄県も島しょでは人口減少が進んでおり、地域社会の存続に携わる人材の確保が急務となっています。
そこで、県は離島町村総合事務センター(仮称)を設立し、離島地域の町村役場の事務の一部を集約し共同処理することにより、業務の効率化を図ろうとしています。職員募集や給与算定など、どの自治体にもある共通の事務をセンターで一括して行います。また、職員不足対策として、県と町村が役場の職員や民間企業の従業員の奨学金の返済を支援する取組も始まります(1人につき最長5年間)。さらには、離島の住民の方々が定期的に本島へ買い出しに行くことを受け、ネットスーパーで注文した商品の輸送費などを一部補助するなど、離島生活の大きな助けとなる充実した事業が展開されます。
琉球大学医学部は、医療面で離島振興に貢献する地域枠制度を設けています。これは、離島・本島北部の医療機関に勤務する明確な意思を持つ県出身学生を選抜し、将来の離島・北部の医師として養成するものです。選抜された医学部生には県から学費相当額とともに生活費相当額が貸与され、卒業後に県が指定する離島・北部の医療機関に一定期間勤務することで、返還が全額免除されることになっています。学費や生活費を心配することなく安心して修学できる点も大きなメリットです。平成31年度からは1期生が離島・北部での勤務を開始、今後も地域枠卒業生が各地で活躍することが期待されています。 同じく島しょを有する東京都としても、この取組に大きな可能性を感じました。
【おきなわブランド戦略】
沖縄県は観光ブランドを農林水産・商工分野へも波及させるべく「おきなわブランド戦略」を推進しています。
沖縄県は観光地としての高い知名度を誇り、観光客は年間1,000万人を超えています。一方で、観光客一人当たりの消費額の伸び幅は小さく、沖縄県の課題に挙げられる一人当たり県民所得の向上につながっていないという現状があります。
一人当たり県民所得向上に向け、観光ブランドと他産業を連携させ、沖縄全体としてのブランドや観光消費、県産品の需要拡大を図っていくこと、それが「おきなわブランド戦略」の核となるものです。短期的にはジャングリア沖縄のオープンや首里城の復興を追い風に県内外に「おきなわブランド」への共感や評価を高め、長期的には沖縄発のサービスや商品が高付加価値化し、選ばれる「おきなわブランド」としての地位の確立を経て地域の稼ぐ力を高めていくことを目指しています。
おきなわブランド戦略については、ぜひ特設サイト(外部サイト)をご覧ください。
【観光振興と県民所得の向上】
先のおきなわブランド戦略の際にもご紹介した、観光振興と一人当たり県民所得の乖離について、詳しくお話を伺いました。
観光客一人当たりにおける消費額の伸び幅の小ささ以外にも、県内の供給力向上や雇用面でも課題があると分析されていました。お土産を例に挙げると、県内での供給能力等の制約により製造工程の一部を県外に外注している状況があり、その工程を県内に導入したりすることで県内製造率を上げられる可能性があります。また、雇用面では、マネージャーなどの収入の高いポジションには県外から来た人が充てられ、県民は非正規雇用に偏る状況がみられることや、観光業従事者のアンケートで、待遇(給与・賞与)や長期的なキャリアビジョンについて満足度が低い状況がみられており、その改善が望まれます。
このように、県内の収入が県外に流出し、県民所得に十分還元されていない状況を何とか改善し、県民一人当たりの所得向上、そしてキャリア形成によい影響を及ぼしたいという想いをお聞かせいただきました。
沖縄県はスタートアップも熱い県です!その取組については、この後に訪問した「Startup Lab Lagoon NAHA」で詳しくお話しいただきます。お楽しみに!
この他にも、両自治体の連携につながるようなお話がたくさんできました。
沖縄県の強みを活かした取組や、課題を解決するための取組を共有いただき、実りの多い意見交換となりました。
沖縄県庁の皆様、ありがとうございました。
さて、Startup Lab Lagoon NAHAに到着しました。
現地では、おきなわスタートアップ・エコシステムの事務局を務める沖縄ITイノベーション戦略センターの方と、先ほどの沖縄県庁での意見交換にもご出席いただいた県職員の方が迎えてくださいました。
お忙しい中、お時間をいただき誠にありがとうございました。
沖縄県庁でもお話を伺った通り、沖縄県は島しょ県のため、域内市場の拡大が難しいという構造的な課題が存在します。
一方で、沖縄ならではの強みもたくさんあります。例えば、国内で最もアジアに近い地理的優位性、那覇空港に国内外の都市が多数就航していること、OISTの存在、そして開業率全国1位の実績です。つまり、沖縄にはイノベーションに向けて挑戦する機運が高まっているといえます。
そんな沖縄におけるスタートアップ・エコシステムの萌芽は、2008年に開始した学生向け起業家育成プログラム「琉球frogs」にあります。その後、個別の支援機関・イベントが立ち上げられたのち、令和4年に「おきなわスタートアップ・エコシステム・コンソーシアム」が県主導で設立され、個々の支援組織がつながっていきます。現在では産官学金79もの団体が加盟し、横断的なつながりをもってスタートアップを支援しています。
さらに、昨年度には内閣府の「第2期スタートアップ・エコシステム拠点形成計画」で沖縄県はNEXTグローバル拠点都市に選ばれます。NEXTグローバル拠点都市には、地域の特異な産業構造やリソースを活かし、海外にもつながる拠点都市を目指すことが期待されていて、これについて沖縄県は「未来型ブルーエコノミー拠点」を確立させることを目標としました。一般的なブルーエコノミーは、海洋資源を持続可能に活用しながら、経済成長と環境保護の両立を目指す経済モデルですが、この未来型ブルーエコノミーは、これに加え、島しょ地域の特性を活かすことも含まれています。具体的には、島しょ地域の特性も活かすことができ、なおかつスタートアップ・エコシステムとも親和性のある4つの産業領域(観光、ヘルスケア、エネルギー、サーキュラーエコノミー)に注力し、アジア有数のスタートアップハブを目指します。
このように将来を期待されている沖縄のスタートアップ・エコシステムですが、県のスタートアップ支援施策もご紹介いただきました。
このように、沖縄県におけるスタートアップ支援体制は非常に充実していて、これに応えるように県内から多くのスタートアップが羽ばたき始めています。それでも「アントレプレナーシップでは支援がすぐに起業に結び付くわけではない。成果が出るまで時間がかかることを理解した上で、まずは課題を見つけられる人材を育てることを重視している」と県庁の方は説明されていました。その言葉は、沖縄のスタートアップ支援に携わってきた皆さんが経験したここまでの道のりの険しさと、だからこそ見つけたスタートアップの未知の可能性への期待を同時に感じさせるものでした。
沖縄ITイノベーション戦略センターおよび沖縄県庁の皆様、ありがとうございました。沖縄のスタートアップの勢いにワクワクするような時間でした。今後も更なるスタートアップの成長支援を目指し、東京と沖縄で連携を進めていきたいと思います。
※Startup Lab Lagoon NAHAは、さくらインターネット(株)が運営する「SAKURA innovase Okinawa」内に併設されています。
おきなわスタートアップ・エコシステム・コンソーシアム ホームページ
充実した時間を過ごした後は、美味しくエネルギーをチャージします。
沖縄そばです!三枚肉、軟骨ソーキ、本ソーキの3種類のお肉が入った豪華な一品。コシのある麺に食感の異なる甘辛い豚肉、そしてあっさりとしたスープの三重奏に舌鼓を打ちます。無限に食べたくなるようなおいしさでした。
次に向かったのは、沖縄県庁の方にお薦めしていただいた県施設「沖縄空手会館」と「おきなわ工芸の杜」です。ともに豊見城城址跡地の中にあり、徒歩5分で両施設間を移動できる位置関係です。
まずは沖縄空手会館にお邪魔しました。
沖縄空手会館は、伝統空手の真髄を学ぶ拠点として平成29年にオープンしました。「沖縄空手」を独自の文化遺産として保存・継承・発展させ、「空手発祥の地・沖縄」を国内外に発信するため、①人格形成への寄与、②空手発祥の地であることの発信、③県内・国内外の各流派間の交流、④指導者・後継者の育成、⑤空手の神髄の継承、⑥本場沖縄での修行の促進、以上の6つの役割を担っています。
会館は道場と資料室に分かれていて、道場施設はこの日、催し物があったため見学を控えましたが、大小さまざまな道場・鍛錬所があるようです。
展示施設では空手の歴史や流派、美学などを学んだり、空手を体験したりすることができ、初心者や一般の人はもちろん、空手家向けの専門的な展示があります。
個人的には空手体験コーナー(これ、ものすごくハードでした...が面白い!)や外国語に翻訳された空手の書籍の展示が興味深かったです。
展示品は撮影禁止ですが、一つだけ撮影OKなものがありました。それはなんと、EXILE TAKAHIROさんの書です!
これは沖縄空手会館のオープン1か月を記念して制作したものです。当時の除幕式で、TAKAHIROさんは、「人としての根っこの部分を空手道に鍛え上げてもらった」ことに感謝し「ずっと空手道への恩返しがしたいと考えていた」とコメントされたそうです。
沖縄空手会館を訪ねる機会があれば、ぜひご自身の目や身体を使って展示を楽しんでください。
沖縄空手会館での視察を終えた後は、おきなわ工芸の杜に移動しました。 施設を運営している方に内部を案内していただきました。
お忙しい中、お時間をいただき誠にありがとうございました。
おきなわ工芸の杜は、①工芸品に関する情報発信、②工芸品の作り手の支援、③作り手と使う人の交流の機会提供を目的として、令和4年にオープンしました。
琉球王国時代より、日本を含む東アジア諸国との交易を通じて独自の伝統文化を形成してきた沖縄の工芸品は、諸外国の良い面を取り入れたところが特徴で、国指定の伝統的工芸品は16品目と、全国3位を誇っています。おきなわ工芸の杜では県内各地の織染物、ガラス、三線、金細工などの実物が詳細な説明とともに豊富に展示されています。
おきなわ工芸の杜では、工芸品の作り手の支援として、共同工房、貸し工房を提供しています。共同工房では、個人では購入が難しい大型の機材を借りることができ、沖縄県による工芸従事者向けの専門的技術研修や講習会も行われています。
貸し工房への入居には審査があり、事業計画の提出が求められます。沖縄の伝統的工芸品の職人として大きく羽ばたいてほしいからこそ、ブランドコンセプトや収支計画などを通じて、ビジネスとして成立するかを厳しくチェックします。
晴れて審査を通過すると、写真のようなスペースでの作業や作品の展示販売が実現します。
また、一般向けの体験工房もあるので、旅行でここを訪れれば、沖縄の思い出の品を手作りすることもできます。
沖縄の伝統的工芸品の作り手も高齢化等に伴い減少している状況ですが、ここで独立を目指し鍛錬を積む若き職人の背中を見ていると、その明るい未来の実現の一助となるために私たちには何ができるか、そんなことを考えました。
おきなわ工芸の杜の皆様、ありがとうございました。
沖縄県は第二次世界大戦で国内唯一の地上戦が行われた県であり、その痕跡が随所に残されています。今回私たちは、そのうちのひとつである嘉数高台公園を訪れました。 公園に着いた私たちが最初に目にしたのは、「弾痕の塀」です。
第二次大戦時中、嘉数は日本軍の主陣地となり、日米両軍による熾烈な戦闘が展開されました。この弾痕は、日米両軍から大量の銃弾・砲弾が降ってきたことを物語っています。
頂上に向かう階段の途中には陣地壕(日本軍が陣地を構えるために掘った、軍専用の人工壕)がありました。
嘉数に駐屯した日本軍は、この高台を中心にいくつもの陣地壕を造りました。造営に当たっては、兵士だけでなく、高齢者や女性を含む多くの人が動員されました。
さらに階段を上り頂上に着くと、この地で命を落とした人々のための慰霊碑やトーチカ(大砲や機関銃などを置くための場所を、分厚いコンクリートでおおった陣地)もありました。
このトーチカの厚みは最大1メートル、内部は2メートル四方で、大人が3人ほど入れる広さです。当時の日本兵は南側の入り口(写真左)から内部に入り、北側の開口部(写真右)から銃を出し米軍を攻撃したと考えられています。北側は南側に比べ損傷が激しく、むき出しになった鉄筋はいかに激しい攻撃を受けたかを物語っています。
この嘉数高台公園には展望台があり、そこからは普天間基地が見えます。
実際に見てみると、住宅などとのあまりの近さに驚きました。また、市街地の中心部に基地が存在することにより交通渋滞が常態化していることや、基地跡地を再開発した那覇新都心の経済効果などについて説明を受けたことも相まって、改めて沖縄県内の基地をめぐる問題の難しさを感じました。
2日間かけて各所を訪問し、非常に多くの学びを得ることができました。 東京都は、全国各地との共存共栄を目指し、引き続き幅広い分野で連携を進めていきます。
次回の訪問レポートもお楽しみに!